ブラームス作曲:交響曲第2番 第2楽章
久々の「クラシック徒然草」です。
しばらくぶりの間に、
また感染症が日本中で猛威をふるい、
海を隔てているだけのあの隣国は、相変わらず戦争の手を休めることはなく、
日本で信じられないような恐ろしい銃撃事件が起こってしまい、
心のざわつきを治めるにはどうしたら良いものか…
そんな時、みなさんどうされますか?
宗教?それもありかもしれませんが…
私であれば、そんな時にぜひおすすめなのが、ブラームス。
ブラームスと言ってもたくさんの名曲を残しています。特に彼の4つの交響曲はどれも、どの楽章も、本当に素晴らしいのですが、今日はこの曲のこの楽章をご紹介。
ブラームス 交響曲第2番ニ短調作品73 第2楽章
https://youtu.be/zzmsXUKjMr0
指揮:カルロス・クライバー
ウィーンフィル管弦楽団、1991年
私は、心がザワザワした時、この曲をよく聴きます。特にこの2楽章は私にとってはトランキライザーのような効果のある曲なんですが、なぜだろう???
ブラームスは1877年、44歳の時この交響曲を完成させました。
この前年の1876年に交響曲第1番を完成させ、そこからたった1年でこの2番をブラームスは仕上げました。
1番を作るのには、20年もかかったのに!
(作るのに20年かかったブラームスの交響曲第1番についてはこちらの記事の後半もご参考に)
構想20年の重みが、息苦しいほど伝わってくる1番とはうって変わって、この第2番はとても軽やかで、それでいて、内に秘めた想い、のようなものを感じます。
それでは、私なりにこの曲を深掘りしてみます(⌒▽⌒)
クララ・シューマンとブラームスの切ない関係
ブラームスを語るうえで、彼の生涯、特にクララ・シューマンとの関係について、触れておきましょう。
ブラームスは貧しい家に生まれ、音楽の才能はあるものの、子どもの頃から家計を支えるために夜の飲み屋などでピアノを弾く仕事をしながら、作曲活動を行うような、決して恵まれているとは言えない生活環境でした。
そんな中、友人の勧めで、ブラームスは当時すでに音楽評論家で大きな力を持っていた作曲家のロベルト・シューマンに会いに行くことに。
これはブラームスの人生の中で、大きなターニングポイントとなった運命の出会いでした。
なんと、シューマンはブラームスの作品と演奏にいたく感動し、大絶賛。
この出会いをきっかけにブラームスの音楽家としての名声も広がっていくのでした。
そして、この時もう一つの運命の出会いが。
ブラームスはシューマンの奥さんである14歳年上のクララ・シューマンに恋をしてしまったのです。ブラームス、20歳ごろのことでした。
ブラームスにとってシューマンは自分の才能を見出してくれた、尊敬する恩師。
ブラームスがクララへの「禁断の」想いを行動に移すことは生涯ありませんでした。
悲しいことに、まもなくシューマンは精神を病み、自殺未遂を図り、病院で療養することになってしまいます。
ブラームスは恩師シューマンへの感謝の思いから、一家の家計を助け、献身的にシューマン一家を支えました。
まもなく、シューマンは亡くなりますが、その後もブラームスがクララに対し恋愛的な感情を表すことはなく、同じ音楽を愛する友人として、生涯にわたって親交を続けました。
そして、ブラームスが63歳の時、クララは病で亡くなり、その翌年、64歳でブラームスも後を追うように病で亡くなったのでした。
ブラームスのサムライスピリッツ?
ブラームスは、自分の感情を表に出すことを嫌っていた(苦手としていた?)ようで、よく
内気な性格だった。
内省的な人だった。
孤独な人だった。
と表現されます。
しかし私は、
シューマンに対し一生かけて義を尽くすブラームス、
ベートーヴェンを尊敬しすぎて交響曲1番に20年もかけてしまうブラームスに、どこか、
サムライスピリッツ
を感じてしまい、愛さずにはいられません。
この曲も、まさに美しい旋律なのですが、どこか不安げで。でも奥の方にある孤高のプライドや義を尽くす信念、情熱も感じます。
言葉では到底表しきれない、もはや言葉はいらない、愛するひとへの複雑な感情、ブラームスの内に秘めたサムライスピリッツが押し寄せてきて、私のざわついた心を包み、まるで、禅のように鎮めてくれているのかもしれません。
ブラームスの交響曲も、こんなブラームスの生涯を頭に置いてから聴くと、また聴こえ方が変わってくるのでは?他の楽章もぜひ聞いてみてくださいね(^_−)−☆