永平寺の食の教え
先日、茂庵店主がある動画を見て感銘を受けておりました。
私もこの動画を見て、普段店主が話している内容に通ずることが多く、なるほどなと感じる部分が多かったので、みなさんにもご紹介しようと思います。
永平寺に学ぶ食の作法
永平寺に学ぶ食の作法 - YouTube
これは、福井県にある曹洞宗大本山の永平寺の修行についてのドキュメンタリー番組です。
曹洞宗は禅宗の一派ですが、その開祖、道元禅師は『食は修行』と説き、食を通じて命をいただく作法を現在にも伝えているとのこと。
食をつかさどる僧、典座(てんぞ)
曹洞宗では、食をつかさどる僧として典座という僧の位があるとのこと。
食、調理も修行。典座自らたすきをかけ、修行僧と一緒に厨房に立ちます。
典座のありかたを道元禅師が記した『典座教訓』には調理をする者としての持つべき心として、次の3つが記されています。
- 喜心~炊事をすることはありがたいことで、喜ばしく、尊いことであると思う心
- 老心~子を守る親の心で調理をすること
- 大心~すべてが命ある食材であり、食材を差別することなく、大きく偏りのない心をもつこと
食事とは命と向き合う時間。人は動植物の命に支えられて生きています。
“食べる”のではなく、“いただく”。
命をいただく気持ち、その食材や食事が目の前にあるための多くの縁に感謝し、愛情をいただくという気持ち。
曹洞宗とは、鎌倉時代に確立した禅宗ですが、この教えは現代に生きるの私たちにも響くものがあります。
三徳円満にして、六味ともに備わらん
前述の『典座教訓』に開祖道元はこの言葉を残しているとのこと。
三徳、というのは、軽軟(軽く、やわらかい口当たり)、浄潔(清らかに清潔であること)、如法作(作法や教えを守ること)。
この三徳を満たすことで、精進料理の心ともいえる6つの味が備わってきますよ、という意味のようです。
6つの味とは、以下の通りです。
- 苦い
- 酸っぱい
- 甘い
- 辛い
- 塩辛い
- 淡い
最後の“淡”という考え方。禅らしいですね。現代に生きる私たちは今まさに立ち返って尊ぶべき味覚ではないでしょうか。
淡い、とは素材そのものの味。精進料理であれば野菜本来の味、普通の今の我々の食事でも、魚本来の味、肉本来の味を感じること。それが食材に対する感謝の気持ちにつながるのだと思います。
動画の中で、僧侶の方もおっしゃっていましたが、なんでもかんでもソースやマヨネーズをかけてしまい、混とんとした味の食事が多くなっている、何を食べているのかもわからない...
そのようなものばかり食していると、素材の味がわからなくなり、ひいては人間同士の味わいすら感じられなくなってしまう。
野菜にそれぞれ苦みや、甘みなど本来の個性があるように、短い髪の人、長い髪の人、いろんな肌の色...人にも個性があり、それが人間の味わいである、ということ自体わからなくなってしまう。
食とは、人の体の健康だけでなく、心の健康の根幹にあるもの。
茂庵店主も、典座の教えを胸に、本日も時間と手間をかけて、心を込めて、厨房に立っております(^_-)-☆