年の瀬に、自家製キムチ
今年も残すところあとわずか。そんな慌ただしい中、茂庵店主は自家製キムチを仕込んでおります。
まず、準備するのはキムチのり(写真の左側)。
一般的には小麦粉を溶かしたものを使うのですが、うちは、そう!そば屋。ということで、そば湯を煮詰めたものを使用してみました。しゃれとんしゃ〜( ̄▽ ̄)
右側は『ヤンニョム』。実はこれも手作りなんです。茂庵常連のお客様、Mくんが豊前の海でとれた、採れたてアミを持ってきてくれたので、それを使って茂庵店主が仕込みました。
ヤンニョムとキムチのりを混ぜます。これが一般的にいう「キムチの素」ですかね(^-^)v
そして、塩漬けした白菜。
よくキムチの素と白菜が馴染んだら、ジップロックに小分けして、冷暗所で数日つけたら出来上がり♪
私、ヤンニョムなるもの、アミからできてるなんて知らなかったんですよねー(゚∀゚)魚介の風味もしっかり感じる本格キムチ。美味でしたよ(^_^)このヤンニョムを使って、ヤンニョムチキンなどアレンジもできます。そのまま調味料として使っても♪
さて、今年7月あたりから茂庵ホームページをリニューアル、ブログも不定期に更新するようになりました。
慣れない、ホームページ作業にもだんだん慣れてきました。拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。
来年も茂庵の情報だけでなく、いなか暮らしならではのエピソード、そば以外の料理に対してもこだわりが強い店主の話なども時間の許す限り、UPしていきますので、よろしくおねがします!
そして、後半は今年最後のクラシック徒然草に続きます!
クラシック徒然草 年末特別企画第3弾
ベートーヴェン作曲 交響曲第9番 「合唱つき」
年末は第九!ということで、これまで2回にわたってベートーヴェンの第九について掘り下げてきました。第三弾、最終回のテーマは、これです。
なぜ、第九を年末に演奏するのか?
ここからは完全に私の個人的な見解、想像も含んでいる内容になりますが、第九の歴史的名演と言われている、フルトヴェングラー指揮、バイロイト祝祭管弦楽団が1951年に演奏した第九にのせて、述べてみようと思います。
Beethoven: Symphony No. 9, Furtwängler & BayreuthFO (1951) ベートーヴェン 交響曲第9番 フルトヴェングラー (詞字幕有)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 交響曲第9番 ニ短調 作品125 (作詞 : フリードリヒ・フォン・シラー) ソプラノ:エリーザベト・シュヴァルツコップ アルト:エリーザベト・ヘンゲン テノール:ハンス・ホップ バス:オットー・エーデルマン 指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー バイロイト祝祭管弦楽団、合唱団 録音:1951年7月29日 バイロイト祝祭劇場 (実況録音)
https://www.youtube.com/watch?v=lOdvFGpflJY
4楽章に至るまでも、すごい。
有名な4楽章の「歓喜の歌」を語るためには、やはり1〜3楽章の理解も、どうしても必要になってきます。ほんのエッセンスだけ。
- 1楽章〜まるでオーケストラがコンサート前にチューニングしているような冒頭。ざわざわざわ…なんだか、不穏な空気です。しかし…あれあれ、いつの間にかカオスな音たちが少しずつ収束していって、力強いテーマが現れ、私たちを圧倒します。
- 2楽章〜これはまさに革命です!こんなにティンパニを表舞台に出した交響曲はこれが歴史的に見ても最初になると思われます。冒頭からティンパニがテーマのフレーズを叩き奏でるわけですから!もう脇役なんて言わせない!
- 3楽章〜1、2楽章と怒涛のように全力疾走してきて、だいぶ血圧も上がってきてますが、ここでやっと心が安らぎます。極上の美しいメロディーです。
ここまででも、当時としてはかなり革命的、チャレンジングな交響曲です。そして最後の4楽章で、これでもか!と、とどめの革命として、独唱&合唱団も使い、最後の最後では打楽器群(大太鼓、シンバル、トライアングル)を交響曲に史上初登場させます。
ベートーヴェン大先生!ありがとう!!
破壊・否定の4楽章
1〜3楽章とこんなに革命的な音楽を積み上げてきて、4楽章ではとても興味深い試みをベートーヴェンは仕掛けます。
それは、1〜3楽章のフレーズを4楽章で登場させるという仕掛け(なので、ぜひ1〜3楽章も聴いてほしいのです。)なんですが、ベートーヴェン大先生、なんということでしょう!
これまでの音楽を全否定します!!
1楽章のフレーズを出しては、「いや、これじゃない!」とベースとチェロが野太い男性の声のように歌い、
次は2楽章のフレーズが現れ、「違う!この音楽は違うんだ。」
3楽章のフレーズも「これも違う!」
せっかくこれまで積み上げてきたものを、ベートーベン自身が壊して、否定して…
そしてその先にスーッと現れてくるメロディーがあの「歓喜の歌」なのです。
新たな時代への幕開けを祈り、願う「歓喜の歌」
歴史的に見て、新しい時代の幕開けを意味するような重要なタイミングで第九は演奏されてきたように感じます。
新しいものを創造するためには、ベートーヴェンが第九の4楽章で行ったように、これまでの経過を否定したり、壊すことも時として必要なのかもしれません。
- ベートーヴェンが第九を作曲した時代背景としてあるのが、フランス革命。帝政から市民のための政治へ移行し始めた時代。でもその変革のために多くのものが(命も)壊され…でもそれが、現代の私たちの民主主義、自由につながっているのだと思います。
- 動画の演奏は第二次世界大戦の間、中断していたバイロイト音楽祭が戦後復活した際に演奏されたもの。フルトヴェングラーもドイツ人。敗戦国、黒い歴史を追ってしまったドイツ人として、これまでを壊して、でも自分達の誇りであるベートーヴェンを携えながら、新しい時代の幕開けを、皆で祈りたい!そんな気持ちで第九を選曲した…のかもしれません。
- 巨匠カラヤンも来日時には、ことあるごとにベルリンフィルを引き連れて第九を演奏しています。戦時中はナチス党員であったカラヤン。音楽界から追放されていた時期もありました。同じ敗戦国である日本で演奏する第九には、新しい時代に対する特別な思いがあった…のかもしれません。
第九を年末に…年末というと時期が限定されてしまいますが、第九の根底には新しい時代が始まるぞ!という人間たちの強い想いが流れていて、それが歴史的に脈々と繋がっている。ということなのでは…と、ここ数日第九を聴きながら、私、密かに思いを馳せておりました(>_<)
年も押し迫り、まさに今、新しい年が、新しい時代が幕あけようとしています。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
良いお年をお迎えくださいね!